創業者の想い

創業者 江川ひろし

創業者 江川ひろし

昭和4年東京生まれ。昭和28年日本話し方センター設立。平成15年2月18日逝去。享年75歳。

全国主要都市で「コミュニケーション&ヒューマンリレーションズセミナー」を、また東京都内では「話し方教室」を常時開催。卒業者は国会議員、県会議員、市会議員、大企業・中小企業の経営者から会社員、主婦、学生に至るまで30数万人に及ぶ。

また、会社や諸団体への出張セミナー、講演活動も精力的に行い、文字通り話し方の第一人者として、実践的な指導を行ってきた。

著書には『500人の前でも話せます』『話し方で性格を変える』(KKベストセラーズ)『話し方は生き方だ』『話し方のバイブル』(サンマーク出版)『コミュニケーション・パワー7つの法則がわかる→できる』(ビジネス社)他、多数ある。

  • 江川ひろしの話し方 黄金のレシピ
  • 人生を変える話し方 77の法則
  • 人生を180度変える話し方
  • 話し方は生き方だ
  • 生き抜く知恵をつける 話し方77の法則

24歳での独立

敗戦後「言論の自由」は、新しい文化と知識を吸収しようとする国民の間で、アカデミックなブームになった。

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当時、郵政省キャリアの若手職員だった「江川ひろし」もまた、その渦中にいた。江川の才が認められた発端は、当時の上司から講演用の原稿書きを任された頃からだ。もともと高校・大学時代、弁論大会で数々の入賞を重ねてきた青年江川の原稿は、読む人をさも雄弁に見せ、聴衆に感動を与えた。その手腕を買われ、本人も人前で話す機会が増える。臆することなく自らの意見を論じ、自信と迫力に満ちたその話しぶりに、人々は引き込まれていく。江川は誰に教わるともなく、人々の心をつかむ話し方を自らのノウハウとして蓄えていった。

江川は24歳の若さで独立を思い立つ。郵政省のキャリアを捨てることにまわりは一様に反対したが、江川にとってはごく自然の流れ。夢こそあれ、惜しむ気持ちはなかった。戦後の混乱の中、貧しい生活を脱するための商売ならいざ知らず、ベンチャーで起業するなどという発想は、この時代思いつく者さえいない。しかもその商材は「話し方」である。保証などあるわけもない。江川を奮い立たせるものは、信じるべきものは、その才能だけだった。

1953年 日本話し方センター創立

この年、国内ではじめてテレビ放送がスタート、後楽園球場ではナイターがはじまり、日本が豊かさへの希望を見いだした第一歩である。日本話し方センターも時を同じくしてスタートを切った。

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江川の評判は口づてに拡がる。この頃、創刊ラッシュであった雑誌やテレビ番組などのマスメディアも、新しい時代の訪れを感じさせる「話し方セミナー」を積極的に報じた。話し方を通して誠実さや感謝の心を説く若き江川を、驚きと尊敬の眼差しで見つめる経営者も少なくなかった。気がつけば「話し方」の第一人者として世間にその名を刻んでいた。

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高度経済成長の真っ盛り。江川の開催するセミナーは参加者であふれかえった。ようやく社会に出はじめた団塊の世代のサラリーマンたちの多くが江川のセミナーを受講した。

経営者、管理職、新入社員、家庭教育を考える母、コミュニケーションの不得意な一般市民・・・。多くの人々が江川のセミナーで話し方を学んだ。

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時代の要請に従い、受講対象者別のコースを設け、話し方セミナーも進化していく。

セミナー・研修で送りだした卒業者は、国会議員から大手・中小企業の経営者、ビジネスマンに至るまで30数万人におよんでいる。江川の著書が書店で平積みされ、セミナーの模様がカセットテープで販売され、テレビや雑誌の取材は引きも切らない時代が続いた。

江川ひろしの理念は
受け継がれていく

「半世紀もの間、多くの人から愛され、支持をされてきたセミナーが、時代を超えて今も尚、温かく迎え入れられる。ありがたいことです」と語った創業者「江川ひろし」。

「日本話し方センター」が創業50周年を迎えた平成15年、2月18日 逝去 享年75歳。晩年は点滴を投与し、枯れた声を振り絞りながらのセミナー開催であった。ほぼ気力だけで立つその姿に、医師も驚きを隠せなかったという。

「話し方の指導を通して一人でも多くの人に幸福になってもらいたい・・・」

現在、江川ひろしの理念を受け継いだ講師陣が、熱意と信念を持って指導を行っている。

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30万人以上が受講した話し方教室

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日本話し方センターの
話し方教室